ポストメディア時代の芸術文化と理論

先日は久しぶりに上野で公開シンポジウム「ポストメディア時代の芸術文化と理論」に参加。マスメディア以降の状況において新しいメディア理論を構築することは果たして可能なのか、色々と考えさせられるシンポジウムだった。ただ、デジタル人文学の導入が大きく遅れている現状で、ソフトウェア・スタディーズがうまく根付くかどうかは難しいところだろう。キットラーさえあまり受け入れられなかったわけだし。そもそも、もう少しプログラミングや情報工学に明るい人文社会系の研究者の層が厚くならないことには、入り口で躓くのではないか。だからといって何もしなくていいわけではなく、ソフトウェア・スタディーズもデジタル人文学も導入を進めたほうが余程いいのだが、それと同時に別の方向も用意しておかないと、これまでの議論との接点が見えにくくなってしまう、といったところだろうか。

Screen-Shot-2017-07-03-at-10.54.22.png

公開シンポジウム
「ポストメディア時代の芸術文化と理論」
Public Symposium: Arts and Theories in the Post-Media Era

デジタル技術、通信や情報技術の発達によってメディアの環境が大きく変容しつつあります。マスメディアからソーシャルメディアへ、アナログからデジタルへ、そしてメディア文化産業から創造産業へといった変化は、社会や経済、政治や文化、そして私たちの身体とそれを取り巻く環境を大きく変容させつつあります。フェリックス・ガタリをはじめとする最近の議論にならって、この状況を「ポストメディア」の時代と呼ぶことができるかもしれません。
この時代に、メディアによってつくられる文化や芸術は、どのように変容するのでしょうか。そして、この時代に適したメディア理論とは、どのようなものでしょうか。この公開シンポジウムでは、「ソフトウェア・スタディーズ」と呼ばれる新しい研究領域の提唱者のひとりで、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ文化研究センターのディレクターであるマシュー・フラー、ソフトウェア・スタディーズ、デジタル・アートやデジタル文化の美学研究者であり、キュレーターとしても活躍するオルガ・ゴリウノヴァの2名を迎え、ポストメディア時代のメディア理論、芸術文化について議論します。

*入場無料、予約不要。
*このシンポジウムは、平成29年度科学研究費基盤研究B「ポストメディア文化研究の理論構築:創造産業の日英比較を中心に」(研究代表者:毛利嘉孝)の研究活動の一環として開催されます。

日時:2017年7月15日(土) 13:00〜17:30
場所:東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部5号館109教室
言語:日本語・英語(通訳あり)

(追記)メディア・スタディーズがソフトウェア・スタディーズに再編されるということではなくて、あくまでソフトウェア・スタディーズ的に分析すべき部分と、今までのメディア・スタディーズを引き継いで分析すべき部分が2層構造になっていくということではないか(私はその総体をメディア・スタディーズと呼べばいいと思う)。だからポスト・メディアとかポスト・メディウムという言い方は気をつけないと、やや拙速になってしまうだろう。新しいメディアが登場するたびに、古いメディアから見ればそれはいつも「ポスト・メディア」として現れるのだから。

(追々記)ポスト・メディアは、おそらくポスト・シネマと同じ問題をはらんでいて、デジタル化以降もはや技術的には映画はかつてのFilmとは異なる物質的存在になっているが、しかしいまだに「映画」という言葉を私たちは使い続けている。それはつまり「映画」という言葉の内実や単位性自体がすでに変化していることを意味する。そうすると、かつて「映画史」に見えていた領域も今後の「映画の未来」も共に変動していく。これはポスト・ヒューマンなどの議論についても同じで、本当に基本的な単位が変わるということは、A→ポストA/Bというような変化ではなく、かつてAに見えていたものも同様に変化してしまうということだ。